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1956年に、米子東は夏の甲子園でベスト4に入った

1956年の夏、米子東野球部はベスト4に入りました。特にエース・長島康夫投手の活躍は人々を魅了しました。戦後のドタバタの影響で、19歳で甲子園に出ているという物珍しさも注目を集めた原因のひとつです。そんな、米子東や長島康夫投手について書きます。

2006年夏。倉吉北・本川翔太選手の、バックスクリーンへのホームラン動画!

2006年夏の甲子園。鳥取県代表、倉吉北の本川翔太選手のホームランは強烈でした。左打者のいバックスクリーンへの当たりというのは、プロでもなかなかお目にかかれません。この大会で一番の当たりだったと思います。また、本川翔太選手は現在、俳優として活躍しています。そのことについても触れます。

1998年。お隣・島根県の開星高校が「選抜候補」から外された経緯とは?

お隣・島根県の開星高校は、1998年の秋の中国大会で優勝したにもかかわらず、1999年の選抜候補から外されました。その理由は、転校生を出場させていたからです。週刊文春でスクープされました。しかし、その経緯をよく見ると、開星高校が悪いとは言い切れない事情があります。高野連にも原因があったと言うべきでしょう。

お隣、島根県の開星高校(野々村直通監督時代)が経験した、「選抜候補取り消し」トラブル

お隣、島根県の開星高校では、1998年に「選抜候補取り消し」トラブルが起こりました。「チクリ合戦」に巻き込まれたのです。開星高校は一方的に悪者にされましたが、実はそうとも言い切れない部分があります。ちなみに当時の監督は野々村直通氏。後に「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」発言で有名になった人です。

甲子園で鳥取代表が弱い理由③ 「鳥取県は、それなりに栄えている」と県民は思っている(現実を直視していない)から。

甲子園で鳥取代表が弱い理由は、「県民の意識」もかなり影響しています。つまり、鳥取県民は、「鳥取県の現状」を真正面から見ていないのです。全国最小の人口数で、かつ経済規模も小さいにもかかわらず、心のどこかで「鳥取県は日本一の田舎とまでは言えない。それなりに栄えている」と思っています。その影響を書きます。