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~~~ 目次 ~~~
鳥取西が歴史的第1球を投げることができたのは、米子東のおかげ?
鳥飼です。
今回は、鳥取西高校が高校野球の開幕試合の歴史的第1球を投げることができたのは、米子東(よなごひがし)のおかげかも、というテーマで書きます。
歴史的第1球とは?
今で言う夏の甲子園、全国高校野球選手権大会に当たる「中等学校優勝野球大会」の第1回大会が開催されたのは1915(大正4)年の夏です。
歴史的第1球とは、その大会の開幕試合の第1球ということです。
で、それを投じたのは、われらが鳥取県の選手です。鳥取中学、今でいう、鳥取西高校ですね。鳥取県では一番、多く甲子園に出場している高校です。
鳥取西は直近だと、2008年夏、2005年夏に出場しました。
鹿田一郎投手は、かなり緊張した
歴史的第1球を投げたのは鹿田一郎投手です。
僕は、テレビで鹿田一郎投手が語っているのを聞いたことがあります。鹿田投手は普段は緊張など全くしない性格で、かなり豪胆なキャラだったようです。
しかし、第1球を投じたときは体中が震えるほど緊張したとのことです。高校野球(中等学校優勝野球大会)は、第一回からすでに大きなイベントだったことがうかがえますね。
ちなに歴史的第1球は、「ストレートのストライク」です。
鳥取西は、いわば高校野球の歴史では、「初物」づくしです。
最初の一球を投げたのは鳥取西。初勝利をあげたのも鳥取西。ついでに言うと初ホームランを”打たれた”のも鳥取西です(ランニングホームランでした)。
ちなみにこの歴史的第一戦の相手は、広島県の広島中学(現・国泰寺高校)です。14-7で鳥取中学が勝ちました。2時間半にもわたる熱戦だったと伝えられています。
この試合では、選手が負傷して病院に担ぎ込まれたり、審判の誤審(カウントミス)があったりと、初試合ながらいろいろなことがあったようです。
さて、鳥取西がこういう栄誉ある試合に出場できた背景には、どうやら米子東(よなごひがし)の存在があるようです。
米子東(よなごひがし)は、鳥取西と並んで鳥取の野球を引っ張ってきた
米子東も、鳥取県の高校です。
鳥取西と同じく伝統校です。鳥取県の高校野球の創世記は、鳥取西と米子東が引っ張ってきました。
もともと、高校野球(当時は中学野球)は全国大会はありませんでした。そんな時代から、鳥取西と米子東はすでに野球部があり、鳥取県の野球を盛り上げていました。
意外なことに、鳥取県は、当時は野球先進県だったようです。今はむしろ鳥取県は全国で一番弱いと言っていいぐらいなのに、なぜ高校野球(中学野球)の創世記は野球先進県だったのでしょうか。
その理由は・・・
これは、完全に僕の憶測ですが、「鳥取県が田舎だから」ではないか、と思っています。これはどういうことか、というと・・・
野球は、もともと「教育に悪い」と言われていた
高校野球創世記に鳥取が野球先進県であった理由を語るにおいて、まずは日本の野球の歴史に触れなければなりません。
野球が日本に伝来したのは、明治維新後まもなくです。1871年(明治4年)です。このころは、遊びの延長という感じでしたが、日清戦争のころ(1894年ごろ)になると、旧制一高(今でいう大学)の野球部が、アメリカのチームと対戦するなど、本格的なスポーツになっていきました。
それと同時に野球人気は高まりました。
ただ、日露戦争(1904年)後まもなくの頃、野球バッシングが始まります。「学生は野球に興じるべきじゃない。勉強しろ」という意見ですね。「野球害毒論」と呼ばれていた説で、さかんに叫ばれました。
今で言うと、「学生はスマホばかり見るな。勉強しろ」という感じの意見です。特に、朝日新聞が熱心にこの野球バッシングをしていました。乃木希典や、新渡戸稲造を紙面に出し、「学生はしっかり勉強しろ」という特集を繰り返し組んだんですね。
で、これこそが、当時の鳥取県が野球先進県になれた理由ではないか、と僕は思っているわけです。
つまり、朝日新聞の「野球バッシング」は、田舎の鳥取県まではあまり浸透しなかったのではないか、と思うのです。
だって、考えてみてください。あの乃木希典や新渡戸稲造が、「野球なんかやめろ!」と新聞で言っているわけですよ?
こんな大人物が言うのですから、全国の「野球熱」は確実に下がりますよね?
でも、鳥取県は田舎なので、おそらく新聞の普及率は低かったでしょう。その証拠に、今でも鳥取県の新聞は、「夕刊」がありません。全国の人には信じられないかもしれませんが、鳥取県民の中には、「夕刊」という概念を知らない人もいるくらいです。
このように、「新聞があまり普及していなかった」ことが影響して、朝日新聞がいくら「野球なんかやめろ」と叫んだところで、鳥取県にはほとんど影響がなく、県民はみんな野球を楽しんでいたのではないか、と思います。
・・・となれば当然、全国と比べて野球のレベルは上がっていきますよね?
だからこそ、高校野球(中学野球)創世記は、鳥取県は強かったのではないか、というのが僕の推察です。
当時の全国大会は、一県一代表制ではなく、地域代表。
当時の鳥取県が野球先進県であった証拠を示す事実があります。それは、第一回大会の参加校の”地域”を見ればわかります。
当時は、今と違って一県一代表制ではありませんでした。ちょうど今の春の選抜甲子園のように、「地域代表」でした。で、その地域はいったいどこか、というのを見ていくと、面白いことがわかります。
東京、東北、東海、京津、関西、兵庫、山陽、山陰、四国、九州
というのが、その地域です。どうでしょうか?あなたは、何か気付きませんか?
そうです。「山陰」で一枠もらっているわけですよ!
他の地域を見れば、東北、東海、関西、四国、九州、となっています。この延長線上で行くと、「中国」となるはずなのに、なぜか「山陰」です。兵庫が一枠あることを考慮しても、「山陰・山陽」がワンセットでないと筋が通りません。
にもかかわらず山陰で一枠もらっている、ということは、山陰地方は野球のレベルが高かったことが十分にうかがえます。つまり、鳥取県は野球先進県だったわけですね。
事実、朝日新聞が「野球なんかやめろ!」と野球バッシングをしている間に、どうやら山陰地方ではそんな記事はガン無視して、「山陰大会」なるものを行っていたようです。
つまり、鳥取と島根の代表校が試合をする大会ですね。
山陰大会で起きた、米子東の応援団による”暴動”
さて、今から書くのは、夏の全国大会の第一回大会が始まる2年前の話です。1913年ですね。第一次世界大戦の1年前です。
この年の山陰大会は、鳥取代表は米子中学(現・米子東)、島根代表は松江中学(現・松江北)でした。
で、この試合で、米子中学の応援団がヒートアップし、松江中学の応援団ともめて暴動が起こってしまったのです。これに抗議して、松江中学は試合を放棄しました。
この出来事のせいで、鳥取県と島根県の関係は最悪な状態になってしまいました。
で、この最悪なタイミングで、1915年、野球の全国大会が開かれることなったのです。
(ついでに言うと、全国大会を主催したのは”野球バッシング”をしていたはずの朝日新聞です 苦笑)
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山陰代表決定戦は、中立県で開催されることになった
そういう状況だったので、全国大会の山陰代表を決める試合を、鳥取・島根のどちらの県で行うこともできませんでした。再び暴動が起こることが懸念されたからです。
で、やむをえず、山陰代表は「中立県」で行われることになりました。大阪の豊中球場です。
ちなみに、この豊中球場は、全国大会が開催された球場です。今でいえば、甲子園球場で鳥取代表の決定戦をするようなもんです。
ともかくも、そういう案に決まったので、鳥取代表、島根代表は、大阪の豊中球場へ移動することになりました。
鳥取代表は鳥取中学(現・鳥取西)、島根代表は杵築中学(きつき。現・大社)です。
ここで”事件”が起きます。
で、ここで”事件”が起きます。
なんと、島根代表の杵築中学のメンバーは、鳥取中学のメンバーと比べて倍以上かかった列車移動時間のせいでヘトヘトに疲れてしまったのです。
しかも、不運にも試合当日の朝食に当たってしまい、杵築中学のメンバ-のほとんどが下痢状態に陥りました。
そういう状況も手伝って、鳥取中学は勝つことができました。そして、栄誉ある全国大会の開幕試合に出場することができた、というわけですね。
つまり、米子中学(米子東)の応援団の暴動がなかったら、島根の杵築中学の選手は列車移動の疲れもありませんし、下痢にもならなかったはずです。
そう考えると、もしかしたら鳥取中学(鳥取西)は負けていて、開幕試合に出れなかったかもしれません。
つまりは、鳥取西が高校野球の歴史の開幕にかかわることができたのは、ある意味米子東のおかげ、ともいえるわけです。まあでも、暴動はいけませんね。当時はよくある話だったとはいえ・・・
2018年、第100回全国高校野球選手権記念大会の開幕式。山陰から皆勤4校が行進に加わる
さて、この記事で出てきた鳥取県の鳥取西、米子東、島根県の松江北、大社は、高校野球の皆勤校です。いわゆるレジェンド15校のうちの4校ですね。
2018年の夏の甲子園は、100回目の記念大会でした。そういうことから、レジェンドの15校のキャプテンは入場行進に加わっていましたね。
特に、鳥取西の浜崎瀧大郎主将が先導役という名誉な役割をつとめていました。よく、入場行進の後半、各代表の選手全員が揃って大行進をするのですが、少し離れた位置で先導役になっている人がいますよね?あの役割です。僕は鳥取県人として、さすがに見ててじ~ん、ときましたね。
2019年冬現在、鳥取西は県内では今でもわりと強い方です。直近だと2008年、2005年の夏に甲子園に出場しています。鳥取予選でもベスト4以上に残ることもしばしばあります。
なので、第100回の大会の入場行進に加わったのを見たとき、「次は出場できるように頑張れ!」と心の中で素直に応援できるような気持ちになりました。
しかしながら、最近の米子東は全くダメで、直近の甲子園出場が1996年春です。鳥取県予選を一回戦で負けても誰も驚かない状況でした。
そういうことから、僕の中では米子東はもう二度と甲子園に出られない、と思っていました。なので、夏の第100回大会の入場行進に加わったのを見ても、「実力で出ずに、こういう形での出場しか見られないのか・・・」と逆に寂しい気持ちになったものです。
それだけに!
米子東が2019年の選抜甲子園に出場が決まったのは、特別にうれしい気持ちがありました。僕は県東部の人間ですが、米子東のファンがまわりには多いですし、仕事などでかかわった人もいます。
双子で活躍したあの人や、甲子園に出場後、銀行に就職したあの人、東大に現役で行ったあの人・・・いろいろと顔が思い浮かびます。
それに、米子東は鳥取県では唯一、全国的に有名な高校でもあります。高校生クイズでの優勝、準優勝、そしてサッカーでのベスト8。野球でも、かつては春の甲子園で準優勝していますし、ベスト8、ベスト4も記録しています。
米子東出身の有名人も多いですね。鳥取県民は、あまり有名人は多くないのですが、米子東だけは多い印象です。
政治家、スポーツ選手、文化人、芸能人など、鳥取県の他の高校に比べたら、米子東は鳥取県内にとどまらず、全国志向で活躍しよう、という雰囲気があります。
だからこそ、2019年の選抜の米子東には、期待してしまいます。選手たちには、ベストを尽くしてほしいな、と思います。
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