1998年。お隣・島根県の開星高校が「選抜候補」から外された経緯とは?

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鳥飼です。

前回の記事の続きです。前回は、お隣・島根県の開星高校が1998年に選抜甲子園の候補から外されたことについて書きました。

今回は、その「経緯」にまつわることの追加事項と、僕なりの意見を書きます。

高野連の規定は、絶対ではない。特別措置が取られることはよくあること。

前回の記事で書いたとおり、1998年に開星高校が秋の中国大会で優勝したにもかかわらず、選抜の候補から外されたのは、「部員に転校生がいたから」です。高野連の規定では、転校生は一年間、試合に出ることはできません。しかし、やむを得ない事情による一家転住の場合は認められます。

この転校生の場合は、家族が松江市にマンションを買い、住所まで移したのですから、「一家転住」ではあります。しかし、「やむを得ない事情」ではありません。なので、規定に違反していることは間違いありません。

ただ、もともとこの転校生の試合出場は、島根県高野連が、「開星高校による引き抜き行為ではないから」という理由で、特別措置として認めたものです。

高野連の規定は、法律でもなんでもありませんから、選手の事情を考慮して特別措置が取られることは、よくあることです。

たとえば、後の記事でも触れますが、1956年に甲子園を沸かせたわれわれ鳥取県の米子東(よなごひがし)高校の長島康夫投手は、19歳で甲子園に出場しています。

今は19歳でも甲子園に出ることができますが(例外あり)、当時の規定ではダメでした。でも、長島康夫投手は「特別措置」として認められたんですね。

では、なぜその転校生は開星高校に転校してきたのか?

ここで問題になるのは、開星高校に転校してきた選手の、「転校した理由」です。当初は、高野連が特別措置として出場を認めていたのですから、おそらく誰が聞いても納得する理由があったのでしょう。

そういうわけで、僕なりに開星高校の転校生について調べてみたのですが、はっきりとしたことはわかりませんでした。当時の監督である野々村直通氏(注※)の著書でも、そのあたりの事情はぼかしています。

なので、あくまで推測にはなりますが、僕なりに、以下のような経緯ではないだろうか、と思っています。

(注※ 野々村直通氏は、後に、「21世紀枠に負けたのは末代までの恥」発言で有名になった人です)

<開星高校に転校してきた経緯>

埼玉県の某高校の野球部員であった2人の選手。その選手たちは、埼玉県の高校で、なんらかのトラブルにあった。そのため、転校したいと考え、楠井克治氏に相談した。

楠井克治氏は、野球人であり教員でもある人。当時は島根県の江の川(ごうのかわ)高校の教員だった。楠井氏は、国学院久我山、木更津中央、江の川で、春夏通算6回、甲子園に導いた経験がある。

楠井氏は、そのころちょうど、島根県の江の川高校から開星高校へ転職した。そのため、二人の選手は、楠井氏を追うようにして、一緒に開星高校に入学した。

なお、なぜ埼玉県のこの2人の選手と、島根県の江の川高校の楠井克治氏とつながりがあったのかは謎。

(補足)・・・江の川(ごうのかわ)高校は、現在の石見智翠館(いわみちすいかん)高校。

・・・と、だいたい、以上のような経緯だったのでしょう。

もし、「埼玉県の高校の野球部でいじめられた」などのことがあったとすれば、「やむを得ない事情」といえます。

しかし、そういう情報が出てきていない以上、開星高校が悪かったのかどうか、判断はできません。ただ、間違いないことは、

「高野連が、一度許可したことを後で覆した」

という事実です。ここは、高野連が非難されてしかるべきところでしょう。オリンピックでたとえれば・・・

・・・ドーピング検査を受けて通過したのに、金メダルを取った後、「やっぱりあの検査結果はアウト」と言われるようなものです。

しかし、報道では高野連への非難はなく、開星高校が一方的に「悪い」という論調でした。

当時の、野々村監督の周囲の反応は?

当然ながら、事情をよく知る人は、開星高校、野々村監督を支持しました。当時、ある野球関係者に言われたこととして、野々村氏は以下のような言葉を著書で紹介しています。

『野々村さん!!高野連と裁判で徹底的に争いなさい。我々野球関係者で応援するから頑張れ!そもそも審査して正規に出場許可を出しているんだから、今さら優勝した後に取り消すなど筋が通らんだろう。書類を偽造したわけじゃなし。言ってみれば、高野連の審査ミスじゃないか!!開星は、「出てはいけない」と言われたのを出たんじゃないんだ!審査の段階で「出るな」と言われたら出てないんだ!

優勝したあと取り上げるなんて子供たちが可哀そうじゃないか!? いいか、裁判にかけろ!!我々が応援する。子供たちの努力を何だと思っているんだ!学校が許可証を持っている限り、裁判では勝てる!頑張れ!!』

私は電話口でボロボロ泣いていた。

悲しかった。

しかし裁判などに訴えれば、野球部の存続が危うくなりかねない。

私は静かに高野連の最低に従う覚悟を決めていた。

(野々村直通著「やくざ監督と呼ばれて」より引用)

高校野球では、ときどき「不祥事で出場停止」というニュースが流れます。たいていは、高校が一方的に「悪者」にされます。

しかし、実情を見ていくと、必ずしも高校が悪いわけではないケースもあるというわけです。

次の記事では、「食トレ」について触れます。その次の記事くらいで、「高野連の規定で見逃しがちなこと」や「1956年の米子東の長島選手の活躍」について取り上げます。

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