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鳥取県民は、消極的である。
鳥取県民の性格をよく表す言葉として「煮えた食わあ」という言葉があります。これは、標準語になおすと、「煮えたら食べよう」です。この意味は、鍋料理をしているときに、全員が「ま、煮えるまで待ちますか」と言って誰も食べ始めない、ということです。誰かが食べ始めるのを待っているわけですね。
つまり、鳥取県民は消極的であるということを表しているわけです。実際、僕も鳥取で暮らしてきた身として、それは感じます。
まず日常生活でそれを感じます。積極的に物事を進める人がいないので、生活に変化がありません。よく言えば、毎日が平和です。しかし、平和であるということは、進歩がないという意味でもあります。
物事は、壊すことで進歩する。
どんなことでもそうですが、物事はスクラップ&ビルドで進んでいくものです。つまり、進化するときにはまずは「スクラップ(壊すこと)」が必要なのです。
会社で言えば、大幅なリストラが「スクラップ」です。当然、社員と会社でトラブルになります。しかし、それは、「ビルド(作り上げること)」するために必要なことです。
鳥取県内には、トラブルが少ないです。その証拠に、あなたは全国ニュースとなるような事件で「鳥取」が舞台になったものを聞いたことがありますか?
人命にかかわるような事件で捜査されている映像や、企業・役人の不祥事などで誰かが頭を下げている映像など、ほとんど見たことがないと思います。
鳥取で暮らしているとわかりますが、大きなトラブルに限らず、小さなトラブルもほとんどありません。鳥取県民は、まさに消極的なので、何かあっても「訴えよう」とは思わないのです。
もちろん、ちょっとした金銭トラブルや友人同士のいざこざなどは他県と同じく、普通にあります。しかし、徹底的に最後まで戦うということは鳥取県人はしません。争ってもムダだと考えます。鳥取県にいるとよく聞く言葉が、
「どうせ、いけん(どうせ、ダメだ)。」
です。争った場合はどちらかが泣き寝入りしてなあなあで済まします。これはこれで、鳥取県人のいい所だと思います。こうすれば、平和が保たれますからね。
でも、そのかわり、進歩がありません。「スクラップ(壊す)」をしないのですから、新しいものが構築されません。
鳥取県の時間は、止まっている。
僕は、久しぶりに鳥取に帰ると、「時間が止まっている」と感じます。人々が争っているような感じがないし、政治系の立て看板もありません。また、どこかの店でバーゲンセールを大々的にやっているような雰囲気がありませんし、街中で宣伝のティッシュを配っている人もいません。
この「時間が止まっている」感じはなかなか説明できないので、無理やりその実例をあげてみました。が、本当のところを言うと理屈抜きに「止まっている」感じがするのです。
他県と空気が違うというか、極端なことを言えば、別の国に来ているような気さえします。鳥取の人は、「そんなはずないだろ」と反論するかもしれませんが、一度、他県に住んでみて、完全にその県の県民性に染まったうえで鳥取に帰ってみてください。僕が今ここで書いていることが実感できるはずです。
もちろん、消極的なおかげで平和がもたらされているのですから、前述のとおり、それはとてもいいことです。しかし、スポーツで強くなるとか、何かのイベントを盛り上げるといった意味では、消極的であることはマイナスです。
「誰かが、楽しませてくれるはずだ。」
「誰かが、盛り上げてくれるはずだ。」
そんな風に、「期待ばかりして、自分からはアクションを起こさない」というのが鳥取県民の特徴です。で、高校野球の鳥取代表が弱いのも、まさに「消極的」な県民性がかなりかかわっていると僕は見ています。
鳥取の選手は、消極的だから、なかなか上達しない。
鳥取の選手は、
「監督を信じよう。」
「まわりを信じよう。」
と思うだけで、自分から積極的に工夫しようという意識が少ないように思います。もちろん、これは野球部員だけがそうなのではなく、一般的に、鳥取の人間はそうなのです。僕も鳥取の人間ですから、これは自戒も込めて書いています。
もちろん、鳥取人の受け身な性格は、「指導者の言うことを素直に聞く」という良さもあります。が、「甲子園で勝つレベルに行く」ということを考えた場合、そのままだと難しいでしょう。
というのも、「消極的」だと、なかなか技術が上達しないからです。
たとえば、橋上秀樹氏も著書でそのことについて触れています。橋上秀樹氏は、楽天・巨人・西武で戦略コーチなど歴任し、それだけでなく日本代表チームでも戦略コーチ、そして独立リーグの新潟アルビレックスでは監督も務められた方です。
つまり、あらゆる選手を見てきたプロの指導者です。その橋上氏が著書で書かれていることは、ひとことで言えば「積極性がある選手が伸びる」ということです。それを、ハングリー精神や正しい努力という話にからめて語っておられます。
参考までに、橋上氏の著書「一流になるヤツ、二流で終わるヤツ」の中から、「積極性」に関連がある部分を引用してみます。
高校や大学を卒業した時点でどこからも指名されずプロに行けなかったのに、そのことを真正面から受け止めることができず、何が自分に足りないのか、どうすればプロに指名されるようになるのか、といった分析をせずに独立リーグに入ってきている選手も多い。そのため、これまでのプレースタイルにこだわり、これまでの練習方法を繰り返して、「もっと努力すればなんとかなる」と思っている選手もいる。しかし、それでは無駄な努力に終わる可能性がとても高い。いくら懸命の努力をしたとしても、「間違った方向の努力」だったら、それは決して報われることはない。
橋上秀樹氏の著書「一流になるヤツ、二流で終わるヤツ」より引用
これを高校野球に当てはめて考えてみると、「自分で積極的に分析をせずに指導者の言葉をただ聞くだけの人は伸びない」ことになるでしょう。鳥取の選手は、そういう人が多いのではないでしょうか。僕は野球部出身ではありませんが、野球部の友人や保護者に聞いた印象、練習を見学した印象、そしてなんといっても毎年見る試合の印象でそう感じます。
鳥取の球児は、才能や環境が劣っているわけではない。むしろ恵まれている。
もし、僕の印象が間違っているとしたら、「鳥取の選手は全国の選手と比べて才能が劣る」という結論になりかねません。もしくは、「鳥取の選手は全国の選手よりも練習していない」ということにもなってしまうかもしれません。
僕は、全国と比べて鳥取の選手だけが才能で劣っているとは思いたくないですし、絶対にそれはないとも思っています。また、練習も一生懸命やっています。時間もかけています。
つまり、他県と同じ日本人の高校生が、同じだけ時間をかけて練習しているわけです。それどころか、鳥取の多くの高校は専用グラウンドを持っています。むしろ全国平均よりも有利な条件といえるかもしれません。
それなのに甲子園で負けてしまいます。むしろ、帝京高校(東東京)の方が練習条件は悪いです。なにせ、野球とサッカーの練習場所が同じなんですよ?2004年にようやく野球専用グラウンドが完成しましたが、それ以前から帝京は強豪ですよね。
全国と同じ時間をかけて練習しているにもかかわらず甲子園で負けてしまうということは、鳥取の選手は練習時の「心構え」に問題があるのではないか、と僕は思ってしまうわけです(その他にも考えられる理由はこのブログで書いていきます)。
そう考えた場合、鳥取県人の特徴である「消極性」と照らし合わせるとストン、と腑に落ちます。
指導されたことをなぞるだけでは伸びない。創意工夫が必須!
つまり、鳥取人は消極的なので、指導者の言葉にただ従うだけなんですね。これでは、全国の選手と同じだけ練習していても、「内容の濃さ」が下回ってしまいます。
橋上秀樹氏の著書から、もうひとつ抜粋してみます。
結局人間は、指導者から「こうしなさい」、「これはやめなさい」と断定的に指導されても、なかなか言うことを聞かないものだ。それには二つの理由があって、まず一つ目が、頭ごなしに言われたことに対する拒絶感を挙げることができるだろう。命令されたことに対する反発感から、聞く耳を持たない場合もある。そしてもう一つは、それなりに言うことは聞いてみても、それが頭に入っていかなかったりする場合も多い。なぜなら言われた本人に、問題意識や必要性の認識が高まっていないからだ。
橋上秀樹氏の著書「一流になるヤツ、二流で終わるヤツ」より引用
これを高校野球に当てはめて考えてみます。前半部分は、鳥取の選手は問題ないと思います。なぜなら、指導者の言うことを素直に聞くのが鳥取人の良さだからです。
問題は後半です。「言うことは聞いてみても、それが頭に入っていかなかったりする場合も多い」という部分ですね。おそらく鳥取の選手は、このケースが多いと思われます。
たとえば指導者が自分で打撃フォームの例を見せて、「こういう風に打ちなさい」と言ったとします。すると、鳥取の子は素直に従うでしょう。
しかし、その打ち方でたまたま打てたとしても、応用がききません。なぜなら、指導者の言うことを素直に聞くだけというのは、積極的でないことを意味するからです。練習内容が濃くならないのです。
別の例を出してみましょう。たとえば、数学の先生が問題の「解法と答え」を見せたとします。で、「このまま解きなさい」と言ったとします。
でも、それで理解できる生徒はほとんどいませんよね?もちろん、「解法」に従って素直に問題を解くことはできます。しかし、何がなんだかわからないまま、なぞっているにすぎません。それでは本当の実力はつきません。その問題を深く理解するには、自分で「積極的に」いろいろな解法を試してみる必要があります。
なので、野球でも監督・コーチから言われたことを何も考えずにただ実践するのではなく、自分なりに創意工夫することが大事なのです。そうしてはじめて、監督やコーチがなぜそう言ったかの理由がわかります。すると、試合で実際に使える技術となるわけです。
積極的な練習とは?
積極的な練習とは、「スクラップ&ビルド」を自分の中に起こしていくことです。つまり、何度も自分の考えを壊して、新しく変えていくのです。
これを繰り返すわけです。そうやって、毎日毎日、古い自分を壊して新しい自分に更新していくことで、技術は伸びていきます。もちろん、毎日ころころとやり方を変えるという意味ではありません。ちょっとした変化を加えていくということです。
簡単そうに聞こえますが、鳥取の選手にはとても難しいことです。なぜなら、消極的な鳥取イズムで染まっているからです。
鳥取の「いじめ」は他県にくらべてぬるい。
僕は子供時代も鳥取県内、県外の両方で暮らしたことがありますが、鳥取の消極的な雰囲気は子供の世界でも感じました。もちろん、すでに書いたとおり、それはいい意味で作用することもあります。たとえば鳥取の子供の世界は、平和です。いじめもほとんどありません。
こう書くと、鳥取の人は反論するかもしれません。
「そんなことないって。鳥取にもいじめはあるぞ。」
と。でも、他県のいじめに比べたら、かわいいもんです。他県のいじめは、壮絶です。ドラマができそうな感じのいじめです。具体的にいえば、顔にあざができるようないじめです。
鳥取のいじめって、そのレベルのものはありますか?あまり聞いたことがありません。「いじめ苦に・・・」と、最悪のことが起こったという話もあまり聞きません。
僕は鳥取ではバイクで爆音を鳴らしている集団は見たことがありません。危険なものに手を染めている中学生・高校生の話も聞いたことがありません。少なくとも、僕の同級生にはそういう人は一人もいませんでした。
ただ、不良の格好をしている人はいましたよ。中学生でバイクに乗っていた人たちもいました。でも、それは見た目だけのことで、「心底ヤバい奴ら」ではありませんでした。乗っていたバイクも家族の借り物であったり、スクーターだったりしました。
これらは鳥取の子が消極的だからこそ生まれたメリットです。他県の子は積極的ですから、やんちゃのレベルは社会問題レベルにもなります。
他県の子は、積極的な性格のためにメリットが多くある
しかし、他県の人は一方で積極的なことによるメリットもかなり大きなものになります。イベントを盛り上げたり、子供だけでパーティを開いたり、と、考えることがダイナミックです。
まわりのことを気にせずに自分のやりたいことを追求するので、タレントオーディションに挑戦してみたり、アイススケートや少林寺拳法、ゴルフをやってみたりといろいろな人がいます。小学生で漫才をやっている人もいました(しかもかなり面白かった)。
あと、これはいいことかどうかわかりませんが、小学生で整形した人も僕は知っています。よりかわいくなりたいという思いを実現させたという意味では、いいことと言えるかもしれません。
つまりは、他県の人は積極的であり、その振れ幅がダイナミックなのです。対して、鳥取の人は大きな危険、争いを避けて平和であることを望む代償として、何も起こらない、振れ幅の小さな日常を送っているのです。
消極的なマインドが、野球の練習には悪い影響を与えている。
そしてこの振れ幅の小ささは、野球の練習にも大きく影響してきます。「消極的」であることが意識の中で深く根付いています。なので、ほんのちょっとした瞬間のたびに消極的な判断をして、それが積もり積もって他県の選手と差がついてしまうのです。
たとえば、コーチから「もっと力を抜いて投げなさい」と言われたとします。消極的な人は、これを文字通り受け止めます。だから、本当に脱力して投げてしまいます。
もちろん、コーチは「力を抜いてダラダラ投げろ」という意味で言っているわけではありません。力を抜きつつも、ポイントでは力を集中させないといけません。しかし、感覚的なことなのですべてを言葉では表せません。だから、「力を抜きなさい」という言葉で代用しているに過ぎないのです。
コーチに逆らうからこそ、見えてくる世界もある
もし、他県の「積極的」な選手が「力を抜きなさい」という言葉を聞いた場合。コーチの言葉の意味することを「積極的に」理解しようとします。単に言葉のとおりにやることはしません。
「”力を抜く”というのは、こういう意味かな?」という仮説を立てて自分でいろいろと試します。時には、あえてコーチの言うことに逆らうこともするでしょう。
「コーチは力を抜けと言ったけど、そうは言ってもやっぱり力入れないとダメだよな」
というように。で、そうやって自分でいろいろ試しているうちに、ようやくコーチの言う本当の意味がわかってくるのです。
これは、単に「コーチの言うことを言葉どおりに受け取る」のとは結果が全然違ってきます。こういうことが重なってくるので、鳥取の選手は他県の選手に大きく差をつけられてしまうのです。
この場合の他県の選手の姿勢は、まさに「スクラップ&ビルド」です。スクラップしてからビルドするというのは、振れ幅の大きなことです。昨日試したことを今日は壊して新しくするわけですから。
時には、監督やコーチとの関係も悪くなってしまうかもしれません。教えられたことにあえて逆らってみる。つまり、監督やコーチとの関係が壊れることも恐れずに、いろいろと試すわけです。
それを乗り越えて、チームも新しく「ビルド」されます。テレビドラマなんかでもありますよね。一度争いが起こった人間同士が、関係が修復すると前以上に固いきずなで結ばれるようなことが。
指導者と選手の関係も、小さなスクラップ&ビルドで強くなっていくのです。単に指導者の言うことに素直に従っているだけの関係とは違うでしょう。
そういったことは、技術以上の力となって、試合でも発揮されるものです。ここ一番の、苦しい試合展開になったときに、それをはねのけられるかどうかも、普段、どれだけスクラップ&ビルドで強くなっているかが関わってきます。
今回の記事のまとめ
今回の記事は、鳥取代表が弱い理由のひとつを取り上げてみました。簡単にまとめると、
- 鳥取県人は、消極的である。
- 消極的だと、技術がなかなか伸びない。
- 他県人は、積極的である。
- 積極的だと、技術がどんどん伸びていく。
- 鳥取県人が、他県人に技術的につき離されてしまう。
- だから、鳥取代表は甲子園で負けてしまう。
です。
もちろん、消極的であることで穏やかな日々を送ることができるというのが、鳥取県の魅力です。他県を経験している僕だからこそ、それは本当に感じます。
しかし、ことスポーツにおいては、やはり積極的にいかなければなりません。鳥取県の高校野球界がそのような流れに変わっていったらなあ、と一人の鳥取野球ファンとして、強く思います。
<追記メモ!>
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