米子東一覧

高校野球の規定は大事!【多田野数人の事例など】

高校野球にはいろいろな「規定」があります。それを破ると試合中に審判に警告されたり、最悪、出場停止になってしまう可能性があります。プロ・アマ規定もその中のひとつです。多田野数人がプロ・アマ規定に気を配った例などを紹介しながらいろいろな規定について触れていきます。

米子東の選抜出場当確に思う

米子東が2019年の選抜に当確と言われています。思えば鳥取代表が「当確」の状態で秋・冬を過ごすのは、ほとんどないことです。なので、嬉しさも数倍に感じます。また、米子東は23年間、甲子園から遠ざかっているため、その年月分の喜びも加わります。米子東OBから聞いたことや、僕の雑感など述べていきます。

2007年夏の甲子園決勝「佐賀北vs広陵」のラジオ実況をご紹介!鳥取代表の参考になります!

2007年夏の甲子園の決勝、「佐賀北vs広陵」のラジオ実況動画をご紹介します。この試合は、鳥取県代表にもとても参考になります。鳥取と同じく小さな県である佐賀県の活躍ですからね。さらに、小野塚康之アナウンサーの名実況でその試合に花がそれられています。鳥取の選手の皆さんに、この実況を聴いてほしいな、と思います。

米子東のベスト4入り(1956年夏)の原動力となったエース「長島康夫」投手について

1956年夏。米子東は甲子園でベスト4に入りました。当時の人々に大きな印象を残したのが、エースの長島康夫投手です。戦後の混乱のために就学が遅れたため、19歳で甲子園に出場したということと、快投ぶりが光ったからですね。米子市は大盛り上がりだったそうです。そのことについて、書きます。

1956年に、米子東は夏の甲子園でベスト4に入った

1956年の夏、米子東野球部はベスト4に入りました。特にエース・長島康夫投手の活躍は人々を魅了しました。戦後のドタバタの影響で、19歳で甲子園に出ているという物珍しさも注目を集めた原因のひとつです。そんな、米子東や長島康夫投手について書きます。

鳥取県に来る野球留学生も鳥取人っぽい「消極的な野球」に染まってしまう理由

高校野球で、鳥取県代表はとても弱いです。しかも、地元選手だけでなく、他県から鳥取に来る野球留学生たちも、才能を発揮できずに甲子園で負けるケースが多いです。その理由は、野球留学生が鳥取人の消極的なマインドに染まってしまうからです。では、なぜ染まってしまうのか。そのたありについて書きました。

甲子園で鳥取代表が弱い理由① 鳥取の県民性「消極的」

甲子園で、鳥取代表は他県と比べてぶっちぎりに弱いです。その理由のひとつが、鳥取県の県民性「消極的であること」にあると僕は考えています。鳥取県は平和で静かです。それは、鳥取県が消極的だからこそなのですが、こと高校野球ということでは、消極的であることがデメリットになってしまっています。そのことについて記事にしました。