どうも、鳥飼です。
ここまで、鳥取県人は消極的であることを中心に話をすすめてきました。そして、甲子園の鳥取代表が全国でなかなか勝てないのも、この「消極性」にあることを指摘しました。
ここで、こんな疑問を持たれる方もおられるでしょう。
「鳥取県の選手が消極的なのはわかった。では、鳥取に来る野球留学生はどうなんだ?」と。それについての僕の見解を述べましょう。それは・・・
「県外の選手が鳥取に来ると、鳥取イズムに染まってしまう」
です。実際、野球留学生が多い鳥取城北、米子松蔭、倉吉北、米子北(全て私立)の甲子園での戦いぶりを見ていると、まるで鳥取の選手のように見えてしまいます。つまり、甲子園でいつも浮足立つような雰囲気ですね。
たとえば倉吉北。80年代前半の「山陰の暴れん坊」時代にはかなり大阪的な積極的な野球をしていましたが、最近の倉吉北は鳥取的な感じがします。
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ここで・・・ちょっと話をそらします。
実は、ここで、このブログを最初から読んでくださった方に、ひとつ謝罪しなければならないことがあります。
それは、僕がトップページで、「鳥取の野球には確変がない」と書いたことについてです。厳密に言うと、鳥取の野球にも実は「確変」がありました。それは、2回です。
まず1回目は、1950年後半~60年前半の米子東です。
長島康夫というエースを擁して優勝候補を次々と倒し、快進撃をした時期を筆頭に、ベスト4が2回、ベスト8が1回、準優勝が1回という素晴らしい成績を残しています。1964年には、岡山県との夏の予選の準決勝(当時は一県一代表ではなかった)であの星野仙一擁する倉敷商業を苦しめました。
倉敷商業が勝ったものの、星野さんは「強豪の米子東に勝った」ということで慢心し(「明日で甲子園!もう勝った気でいた」NHK特番の発言)、決勝の米子南戦で負けたという経緯もあります。
星野さんは甲子園を逃したことをかなり悔しく思っていたらしく、晩年まで「甲子園の入場式は見たくない」と発言していました。完全にトラウマレベルですね。高校生時代の星野さんから「慢心」を誘発させたほどの米子東の存在は、やはり当時は大きかったわけです。
そして2回目。それは、1981年の倉吉北(公立っぽい名前だけど、私立です)。
1981年、倉吉北は選抜ベスト4に入りました。「山陰の暴れん坊」と呼ばれた時代でした。しかし、以下に書くさまざまな理由から、その覇権は一瞬で過ぎ去ってしまいました。
ここで「1981年」と書きましたが、その元となる出来事は「1978年」の夏の甲子園、倉吉北vs早稲田実業です。この試合で優勝候補の早稲田実業に勝ったこと、そして、その次の年から、高校野球は「一県一代表制」になりそうだ、という空気があったという2つの理由(当時、鳥取予選はわずか18校)から、関西の野球留学生が大量に入学してきました。
特に、1981年エースの坂本昇投手(全国的に伝説となっている投手です。威圧的な風貌、態度から全国で批判を浴びましたが最高にカッコいい投手です。鳥取の球児の皆さん。この名前をよく覚えておきなさい!)は、甲子園球場の近くに住んでいたにもかかわらず、鳥取にまで留学にきたということで話題になりました。
野球留学は当時からあったものの、メンバ―のほぼ全員が野球留学生という編成のチームは倉吉北と茨城の江戸川学園取手のみであり、この両校は全国で叩かれることとなりました。
で、この1981年の倉吉北こそが、まさに留学してきた選手たちが主力になった時代なのです。この時期に、前述のとおり選抜ベスト4という成績を残しました。
と同時に、野球留学への批判、部内不祥事(シゴキ)など、不名誉な意味でも倉吉北は話題となってしまいました。対外試合禁止処分となり、倉吉北の「最強の野球留学生」時代は一瞬で終わってしまいました。
以上、これらが鳥取野球における2回の「確変」です。
ただ、米子東はあまりに古すぎますし、また倉吉北はあまりにも一瞬すぎます。なので、この2つを「確変」に含めてしまっては現状の鳥取野球を把握しにくい、ということで、あえて「鳥取野球には確変はない」とトップページには書きました。
・・・さて、話を戻します。
なぜ県外の選手が鳥取イズムに染まってしまうかについてはいくつか原因があります。以下、考えられる理由をあげてみました。
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- チーム方針が、「鳥取県制覇」だから(”全国制覇”ではない)
- 鳥取県は、他県と隔離されているから
- 指導者が、選手の個性ではなく全体を重視しているから
です。ひとつひとつ説明しますね。
県外留学生が鳥取に染まってしまう理由① チーム方針が、「鳥取県制覇」だから(”全国制覇”ではない)
鳥取県のチームは、昔から「全国制覇」ではなく鳥取県大会で優勝することが目的となっている傾向があります。
ベスト4に何度も入り、準優勝までした強かったころの米子東さえ、全国制覇は視野に入れていませんでした。むしろ、「一回勝てばいい」というくらいの気持ちで甲子園大会に臨んでいたようです。
それは、準優勝(1960年春)したときのエース・宮本洋二郎氏(現・広島カープスカウト)が語っていることです。
また、ベスト4に入って全国的に「ヒーロー」という扱いになった長島康夫投手の頃の米子東(1954年夏、56年夏。56年にベスト4)も、全国優勝を目指してはいなかったようです。長島氏の著書「19歳の甲子園」には、「東京見物に来た田舎者」のような気持ちだったと書かれています。
(なお、長嶋康夫氏が、なぜ全国的に「ヒーロー」と受け止められたかは、このブログで後にご紹介します)
僕は、鳥取代表に限らず、全国のチームにあてはまることとして以下の考えを持っています。
「全国制覇を目指さない限り、甲子園で上位に行くことはない」
と。しかし、かつての米子東のように、例外もあるのかもしれません。
ただし、この当時の米子東のように「東京見物に来た田舎者」という程度の心構えでいることは、意外と奥が深いものです。つまり、「全国を目指していないのに上位に行く」のはそう簡単ではないということです。宗教とか哲学とか、そういう次元の話です。いわゆる、「無我」というやつですね。
「我」、つまり自分を忘れてただただ「自然に任せる」という境地です。人間は、ときどき、このような境地に至ることがあります。しかし、人生の中でそう何度もあるものではありません。
もし、甲子園という大舞台にいながら、まるで「近所でゴムボール遊びをしているのとほとんど変わらない感覚」になることができたら、勝つでしょう。それこそが無我です。無我夢中の無我です。夢中になって甲子園で遊んでいたら、勝っちゃったというパターンですね。
しかし、そういう気持ちになれるかどうかは、ほとんど「運」の問題です。もちろん、メンタルトレーニングである程度はその気持ちに寄せていくことはできます。
ただ、あくまでそれは「補足的」な意味合いであり、基本的には「技術」と「気持ちの強さ」で向かっていくのが、王道だと僕は考えます。つまり意識を高くもって、しっかり練習して、試合では気合を入れてのぞむ、というわけですね。だからこそ、
「全国制覇を目指すべきだ」
と僕は主張するのです。そういう意識をもつからこそ、それに見合った練習になるし、気持ちも強くなっていきます。
さて・・・
そう考えた場合、「典型的な、”全国制覇を目指した”チーム」がかつて鳥取には存在していました。つまり、「技術」と「気持ちの強さ」で勝負したチームです。それこそが、80年代前半の倉吉北なのです。
80年代前半の倉吉北は、全国制覇を目指していた
強かったころの倉吉北は全国制覇を目指していました。この時代の倉吉北については、このブログで後に触れていきます。が、ただひとつ言えることがあります。
それは、「鳥取県の野球界において、1981年~1982年の倉吉北が、鳥取野球史上最強だった」ということです。これは、鳥取県の野球ファンの間で、だいたい意見が共通してます。冗談抜きで、全国優勝しても不思議ではありませんでした。
しかし・・・
実は、その”最強の時代”に、倉吉北は不祥事で出場停止になっていたのです。このときのエース・加藤伸一投手も、「甲子園で優勝できたチームだ」と後に語っています。
その加藤伸一投手はプロ入りし、南海・ダイエーなどで第一線で活躍しました。甲子園どころか公式戦に出ていないにもかかわらず、プロ入りしたわけです。
ちなみに加藤伸一投手は、単にプロ入りしただけではありません。鳥取県の野球界で高卒ドラフト1位で指名された唯一の選手です(2018年現在)。もちろん、プロでも第一線で活躍しています。
こういう才能の塊がチームにいたことからも、この時代(出場停止時代)の倉吉北が「全国制覇できたチームだ」と多くの人が証言していることは、ハッタリではないことがわかるでしょう。
なお、加藤伸一投手は生粋の鳥取人です。倉吉っ子です。もし、この時期の倉吉北が甲子園に出ていたら・・・そして全国優勝していたら・・・
今頃、鳥取の野球は全然違ったものになっていたでしょうね。県内の多くの野球少年倉吉北に勇気をもらったでしょう。
地元出身の加藤伸一投手に刺激され、また、まわりを固める野球留学生たちの迫力に「積極性」を学び、今の鳥取の野球はもっと躍動感のあるものになっていたと思います。
倉吉北にはそういう時代を、もう一度作ってほしいですね。
しかし、今の鳥取代表は全国制覇は全く考えていない
しかし、近年の倉吉北、また鳥取城北や米子松蔭、米子北(などの野球留学に積極的な学校)は、甲子園に出ることが目的になってしまっていて、そこから勝ち進むことはあまり重視していないように見えます。もちろん、公立校もそうです。
チーム方針がそうなっていると、これらのチームに多く所属する野球留学の選手もその考えに染まってしまいます。そのため、「鳥取県内の相手しか見なくなってしまう」というマインドになるのです。
鳥取県人の特徴といえば、このブログで書いてきたとおり、「消極的」なことです。なので、野球留学の選手も、消極的な選手になってしまわけです。
これはとても残念なことだ思いませんか? せっかく鳥取県外の積極的なスピリッツを持った選手が集まるのですから、その個性を伸ばしてほしいな、と思います。
県外留学生が鳥取に染まってしまう理由② 鳥取県は他県と隔離されているから
後の記事で触れますが、鳥取県は交通の便が悪いです。それに加えて、県民性として他県の人と積極的に交流しないので日本の中で独立国のような感じになってしまっています。
こういう環境の中におかれると、野球留学生も鳥取に染まって当然でしょう。
どんなことでもそうですが、人は外部との情報が遮断されるとその環境に染まりやすくなります。
日本全国、いろいろな県があります。たとえば、「外部との交流が積極的な県」の場合、他県から移住してきた選手はその県の県民性に染まりません。
たとえば、栃木県は開かれた県。他県と多くの交流がある。
たとえば栃木県の場合を見てみましょう。
栃木県は、周辺の県ととても交流が深いです。高速道路だけでなく。下道も密接にいろいろな県とからみあっています。栃木県周辺をドライブしていると感じますが、自分が今、いったい何県を走っているのかわからなくなってくることがあります。栃木から出て茨城に入ったと思ったら、いつの間にかまた栃木に入っていたりするわけですね。
栃木は道だけでなく、人の交流も密接にあります。栃木県民は、ちょっとした用事で茨城や群馬にさっと出かけます。東京にも遊びに行く人がたくさんいます。遊びどころか、栃木から東京に通勤、通学する人もいます。
こういう開かれた環境だと、外部から栃木県に野球留学してきたとしても、その選手は栃木県の県民性に染まりません。あくまで自分の出身県のアイデンティティを保ったまま、栃木県内で暮らすことになります。
しかし、鳥取県は「交通の便の悪さや県民性」などの理由から、他県との接触が少ないので、野球留学生も、鳥取県のマインドに染まりやすいのです。
県外留学生が鳥取に染まってしまう理由③ 指導者が、選手の個性ではなく全体を重視していること
鳥取県の監督は、自由な野球より、全体主義的な野球を好む傾向にあります。
たとえば、「大型選手を中心とした攻撃型のチーム」を作ってくることがほとんどありません。鳥取県のチームを見ていると、古い言葉ですが、まるで高度経済成長期の日本、つまり「護送船団方式」なチームを作ろうとしているように僕には見えます。
「護送船団方式」とは?
「護送船団方式」とは、高度経済成長期の日本の企業の運営方針をたとえ話で表した言葉です。たくさんの船を自由に航行させるのではなく、一番遅い船に合わせて全ての船が一斉に、のろのろと進むやり方ですね。
このように、個性よりもチームプレーを重視するため、一人の選手が先に行くことは許されません。一人だけ先に進んでしまったら、チームプレーができないからです。
メリットとしては「総体として」戦うわけですから、大きな力となる場合があります。しかし、鳥取県内では通用しても、甲子園では、小さくまとまっている印象で、攻撃の幅がありません。
そして、ダイナミックで幅の広い戦術を展開する相手チームに飲み込まれてしまいます。
ちなみに、他県のチームのイメージは以下のような感じです。
このように、総体としてではなく、個人個人が躍動する野球を展開します。個性が幅広いので、戦術も幅広く、いくら鳥取代表がまとまって勝負を挑んでも、そのまとまりよりも広いイメージで縦横無尽な戦術でかき回し、鳥取代表を圧倒します。
それでもたまに、鳥取代表が幸先よく攻めて優勢に試合を運ぶこともありますが、そんなときに限って、試合が進むにつれて相手高校はジワジワと追い詰めてきます。そして鳥取代表を自滅させ、試合終盤になると序盤の展開がウソのように、あらゆる方向から完全に鳥取代表を制圧しています。
鳥取代表の試合を毎年見ている人は、よくわかることでしょう・・・
鳥取に来る野球留学生は、光るものが必ずある。
上で書いたとおり、鳥取のチームはたいてい、あまり個性のないタイプの選手たちが、監督の指示に従って試合を運ぶような雰囲気です。
もちろん、「ガンガンいこうぜ」タイプの気持ちの強い選手、打ちまくる選手が鳥取にいないというのも原因ではあります。
たとえば過去のインタビューで、八頭(やず)高校を何度も甲子園に導いた名将・徳永昌平氏もそのような主旨のことを語っていました。「鳥取には打てる選手があまりいない」と。
しかし、それでは「鳥取の子は才能がない」ということになってしまいます。才能がないから、小粒の選手を作るんだ、という理屈です。
いや、それどころか、鳥取に来る野球留学生たちもが、「才能がない」ということになってしまいます。才能があると期待していれば、選手の個性を生かしたチームを作れるはずですから。
僕は、鳥取の選手は、かなりの才能を持っていると思っています。ましてや、野球留学で鳥取に来る選手は、必ず光るものがあるはずです。
しかし・・・
鳥取県内では、才能が埋もれてしまうことがよくある
野球に限らず、鳥取にいると、「才能が埋もれる」という現象が起きます。
今、これを読んでいる鳥取県出身者の方に問いたいです。鳥取県内で、あなたのまわりに「すごい人」って、たくさんいましたよね?と。
スポーツ以外でもいいです。たとえば・・・
その辺のドラマに出てるよりももっと上の美少女、イケメン。その辺の歌手よりもいい声の出るシンガー。本一冊を5分で読めちゃう奴(流し読みじゃなく)。機械いじりが好きでわけわからん便利道具を自作する奴。三国志オタク(学者レベルの知識)などなど・・・
実はこれ、全部、僕が鳥取県内で目撃した「すごい奴ら」です。そういう「すごい奴」は、僕は県外ではあまり見たことがありません。
たとえば美人・イケメンの基準も、他県では低いです。他県の子で「モテる子」は、鳥取基準では微妙な感じの人が多いです。
また、スポーツ、勉強、趣味の才能も、他県はレベルが意外と低いです。
他県で暮らしていたときは、いろんな趣味の人がいて個性的だと思いました。でも、それぞれのレベルは高いとは感じませんでした。
鳥取県で出会った、驚異的なまでに「写真撮影の才能」がある奴(プロ以上)
それに比べ、鳥取県で見た才能豊かな人たち。
ここでちょっと一例を出しますが、「異様なまでに」写真の才能がある奴がいました。
「写るんです」というインスタントカメラがありましたよね?あれで、そいつは芸術的な写真を撮りまくってたんです。あまりにすごいので、「本当は高級なカメラを使ってるんだろう」とみんな疑っていました。なので、そいつと一緒に何人かと同じ現場に行って、同じ時間に同じカメラ(写るんです)でいろいろな構図で撮ってみたことがありました。
で、写真屋で現像し、友達の家でそれを見たときのことは忘れられません。みんなで大爆笑したものです。人って、あまりにすごいものを見ると、大爆笑してしまうんですね。
というのも、そいつ以外が撮った写真と、そいつの写真では段違いにレベルが違ったんです。同じ場所、同じ時間なのに、ここまで違うか、と。その驚きと、ただの田舎小僧が撮った写真が「なんか、プロっぽい」という圧倒的な「らしくない感」などが一気に目の前に押し寄せて、みんな大爆笑したんです。
いや、プロっぽいどころか、プロ以上でした。僕は写真には全く興味がないので、「どういうものが、”いい写真”なのか」ということは全くわかりません。
でも、そんな素人にも、明らかにわかる質の高さが、彼の撮った写真の全てにありました。言葉で説明しづらいのですが、構図だとか、ピントだとか、そういう次元を通り越した、「迫力」がすごすぎたのです。
あえて強引に言うと、彼の撮った写真には「命」が宿っているような気がする、といったところでしょうか。その辺のプロの写真家が撮影した写真は、丸めてゴミ箱に捨てることができますが、彼の写真は、ちょっと、捨てるのを躊躇してしまうような感じです。
写真は、生命体じゃないのに、まるで生命体のように思えるというか・・・たとえばあなたは、ぬいぐるみを躊躇なく捨てることができますか?そういう感じです。
実際、引っ越しのときにそいつの撮った写真は処分しましたが、他の写真とは違って、処分するまでに一定の「冷却期間」を置いたうえで捨てたほどです。
つまり、それだけの写真を撮る才能が、彼にはあったのです。
じゃあ、そいつは今、写真家になっているかというと、そうではありません。写真とは全然関係ない仕事をしています。「写るんです」で撮ってたくらいですから、あくまで遊びの範囲でやっていたんですね。
鳥取の人って、みんなこんな感じなんです。それぞれ、いいところがあるのに、それを伸ばそうとしません。
鳥取県の指導者は、生徒、選手の個性を伸ばさない
では、指導者はどうでしょうか。才能を見つけて伸ばそうとしてあげているでしょうか?
残念ながら、監督に限らず鳥取の先生は、画一的な教育を好みます。まわりの大人たちもそうです。
僕は毎年、甲子園の鳥取代表の試合を見て思います。この選手たちは、きっと、潜在能力はもっと高いんだろうな、と。それが、伸ばされていない気がするな、と。
名指しは避けますが、今から10年くらい前に甲子園に出た鳥取代表の某投手。高身長から投げ下ろす超高校級の球威。鳥取では何十年に一度という逸材でした。
が、残念ながらフォームが素人目にも良くありませんでした。力学的に損失のあるフォームです。
さらに、この投手はメンタルが弱く、球威のわりによく打たれていました。はっきり言って、才能だけ見れば、甲子園でベスト8に残っている他県の投手よりは、ずっとあったと思います。それはもう、段違いにあったと思います。その投手を見てから甲子園のベスト8に残っている投手たちを見ると、全然、物足りなく思えたくらいです。
でも、その投手は結果が出なかったんですよね・・・
こういうことは、鳥取の選手を見ているとしょっちゅう感じます。
鳥取県内の有力な選手が、他県に野球留学に行ってしまう現状
また、残念ながら、鳥取県内の硬式リーグの選手たちが、毎年県外の高校に留学し、そこで才能を伸ばして甲子園で活躍しているという事実もあります。
つまり、鳥取県内に残れば才能がつぶされると鳥取県の選手でさえ思っているわけです。なので、「個人の才能を生かすこと」。これは、鳥取の野球界が真剣に取り組むべき課題でしょう。
まとめ
鳥取の選手は才能があります。ましてや、選ばれて鳥取に来た野球留学生たちは、もっと才能があります。
しかし、野球留学生はみんな、鳥取的な消極的マインドに染まってしまいます。また、才能のある鳥取の選手も、消極的なマインドと才能を伸ばせない鳥取県の雰囲気の中でつぶれてしまい、結局、花開かないまま終わる人が多くいます。
鳥取県にはいい所がたくさんあって、移住者もたくさんいます。僕も、鳥取県は大好きです。でも、いいところばかりではありません。画一的で、個性をのばさない鳥取県の教育は、改革すべきだと僕は思っています。
「いや、そんなことはない。鳥取県の学校も、十分、個性を伸ばすように努力しているぞ」
と反論する人もいるかもしれません。たしかに、先生によっては、個性を大事にしてくれる人もいます。
でも、総体的に見ると、個性が消されがちなのは認めなければいけないと思います。その証拠に、鳥取県出身の有名人は「圧倒的に」に少ないのです。他県とダブルスコアくらいの差がつけられています(人口の差を考慮しても、少なすぎる)。
もちろん、有名人の多さだけが「個性を伸ばす教育をしているかどうか」の判断基準ではありません。でも、確実にひとつの指標となっていることは間違いないでしょう。
ましてや、鳥取県代表の甲子園での、まるで個性を押し隠しながら試合に臨んでいるような選手の姿を見ると、鳥取県の没個性的な教育体制を嫌でも感じてしまいます。
まずは現実を認めることが大事です。改革は、そこから始まるものではないでしょうか?
ちょっと、野球から離れて教育問題にまで話がひろがってしまいましたが、このふたつはリンクしていることです。鳥取の発展にも大きくかかわることですので、ぜひ、県内の指導者(野球に限らず)の方々には、今回の記事の内容を少しでも頭の片隅に入れていただけたら、と思います。
コメント
はじめまして。
「鳥取の高校野球が何故弱いのか?」ですが、同じ理由は我が千葉県高校野球にもほとんど当てはまります。すなわち、
1:チーム方針が「千葉県制覇」だから
2:千葉県は他県と隔離されているから
3:指導者が選手の個性よりも全体を重視
しているから
なので、現在の四十九代表制となって以後一度も甲子園優勝がありません(関東地区では千葉と山梨のみ。山梨は過去決勝進出もないですが……)。2については意外に思われるかもしれませんが、千葉県ではたとえ隣接地区から来ていても他県出身者に対して「外人部隊」と連呼する程です(それでいて茨城南部との混成部隊だった全盛期の銚子商業は批判されていなかったから、訳が分からないです)。
コメントどもです。
千葉はたしかに、東京隣接県の中では一番、くみしやすい印象はあります(鳥取が生意気に言える立場ではありませんが(;^_^A)
千葉が隔離されているのは、たしかにそうですね。ドライブをしていても感じます。千葉県の中心的な都市は都心からずいぶん、離れています。それに、埼玉などと違って、半島になっているので陸続きというイメージがありません。まさに隔離された感じです。
ちなみに、僕は旅行ついでに野球強豪校を見て回るのが大好きで、銚子商業や市立船橋、あと野球とは関係ありませんが、進学校の船橋高校などもなど行きましたよ。実は校歌マニアでもあるのですが、船橋高校の校歌が大好きなんです。美しいメロディですからね。銚子商業の校歌は一瞬で終わりますね(;^_^A そんなことも、記事にしていく予定です。よろしく!
追記ですが、銚子商業が混成部隊でも千葉で受け入れられたのは、江川に勝ったからじゃないでしょうか?そのころのことは記憶にありませんが、とにかく銚子商業といえば僕的には「江川に勝った」というワードが直結して出てきます。その次に出てくるワードが「篠塚」です。巨人ファンですからね。