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鳥飼です。
今回は、鳥取県の強豪であり、甲子園常連の八頭(やず)高校についてです。
~~~ 目次 ~~~
八頭高校とヤマタノオロチ伝説は関係あるの?
僕は高校野球好きの知り合いによく聞かれることがあります。それは、「八頭は、ヤマタノオロチ伝説と関係あるのか?」ということです。まあたしかに、名前はそれを連想させますね。しかし、結論から言うと、
「関係ありません!」
となります。まあ、自信持っていうようなことでもないんですが・・・むしろ、関係あった方がカッコいいんですけどね。
八頭高校は、八頭郡八頭町にある高校です。八頭郡は鳥取県東部の文化圏に属しますが、勢力的にはちょっと独特だったりします。
よく言われるのは、県庁などでは、八頭郡の人がわりと強い、ということですね。その理由は、あくまで僕の推測ですが・・・
八頭郡の人は地域密着な雰囲気があるからかな、と思っています。
というのも、「鳥取市」の人にとって、鳥取市にある鳥取県庁や、各企業は、なんの新鮮味もありません。なので、大学進学や就職を期に、大阪にでも行こうかな、という発想がわりと浮かびます。
しかし、八頭郡の人にとっては、鳥取市に行くということは、「外に出る」という感覚があります。なので、わざわざ県外に出るまでもなく、鳥取市の県庁や企業に就職することは、十分に新鮮味のあることでもあるのです。
そういうわけで、八頭郡の人は鳥取市内ではわりと勢力が強くなっているのではないか、と僕は推察しています。
ヤマタノオロチ伝説の場所はどこなの?
さて、ヤマタノオロチ伝説です。残念ながら八頭郡とは関係ないのですが、ではいったい、その伝説の場所はどこなのでしょうか?
それは、お隣、島根県の東部です。斐伊川(ひいかわ)という川があるのですが、そこがまさに、ヤマタノオロチが出現したと言われている場所です。
古くから洪水がたびたび起こっているため、それが伝説の由来となっているという説もありますね。
鳥取県と島根県は同じ山陰です。なので、本当によく間違えられます。僕の場合、たとえば、「鳥取県は出雲大社が有名だよね」なんて言われたこともありましたね。
なので、「鳥取県代表の八頭高校」と聞くと、「鳥取?あ~そういえば、鳥取だか島根だかにヤマタノオロチ伝説があったよなあ。じゃあ、八頭高校ってのは、ヤマタノオロチに関係あるのかな?」と思われるのでしょう。
「八頭(やず)」の名前の由来は?
ヤマタノオロチとは関係ない、という「八頭郡」。ではなぜ、そのような地名ができたんでしょうか?それは、明治29年(1896年)にさかのぼります。
八上郡・八東郡・智頭郡という三つの群が合併して、「八頭郡」となりました。それぞれの名前の一部をとったんですね。なので、ヤマタノオロチのような地名になったのは、偶然だったというわけです。
ただし、ヤマタノオロチ伝説と、間接的には関係がある
上で、「八頭郡はヤマタノオロチ伝説とは関係ない」と書きましたが、実は間接的には関係があります。それは、ヤマタノオロチを退治したスタノオノミコト(素戔嗚尊)の息子(もしくは六世の孫。諸説あり)のオオクニヌシノミコト(大国主神)が、八頭郡に関係があるということです。
オオクニヌシノミコトは、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の伝説で有名ですね。因幡の白兎は、鳥取県の白兎海岸が舞台になっています。皮をはがれて泣いている兎を助けたのが、オオクニヌシノミコトというわけです。
童謡にもなっていますね。「だいこくさま」です。
だいこくさま
大きなふくろを かたにかけ
大黒さまが 来かかると
ここにいなばの 白うさぎ
皮をむかれて あかはだか
大黒さまは あわれがり
「きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれ」と
よくよくおしえて やりました
大黒さまの いうとおり
きれいな水に 身を洗い
がまのほわたに くるまれば
うさぎはもとの 白うさぎ
大黒さまは たれだろう
おおくにぬしの みこととて
国をひらきて 世の人を
たすけなされた 神さまよ
この大黒さま(≒大国さま)というのが、オオクニヌシノミコトというわけです。
で、ここでやっと八頭郡が出てきます。かつて、今の八頭郡の一部にあった八上(やかみ)郡にいた八上姫(ヤガミヒメ)が、オオクニヌシノミコトの妻となったというわけです。八上姫は、絶世の美女だったと伝えられています。
実際、八頭郡の女性は、綺麗な人が多い印象があります。
ちなみにオオクニヌシノミコトと八上姫のキューピット役になったのは、因幡の白兎です。なので、白兎をにまつわる白兎(はくと)海岸と、白兎海岸沿いにある白兎(はくと)神社は、縁結びのご利益があるということで有名です。
あなたがもし婚活を成功させたいと思っているなら、試しに白兎神社を訪れてみてはいかがでしょうか?
八頭郡出身の有名人は?
八頭郡出身の有名人で、一番有名なのは石破茂氏です。鳥取県初の総理大臣になるかも、と個人的には期待しています。中学生までは八頭郡にいて、高校は慶応高校に進みました。
そして、バルセロナオリンピックのマラソンで銀メダルを獲得した森下広一さん。八頭高校出身です。
森下さんは、もともとマラソンではなくトラック競技の選手で、高校時代から地元メディアでは大きく報道されてました。マラソンに転向してすぐに、オリンピック行きを決め、銀メダルを獲得しました。
最後、韓国の選手との一騎打ちになって、突き放されてしまいましたね。
日本と韓国は今、ライバル関係にありますが、よく言われるのは、「日本人は2002年の日韓共催ワールドカップから韓国をライバル視するようになった」という説です。
しかし、実際は1992年のバルセロナオリンピックの時点で、すでに「ライバル」という意識があったように思います。その何よりの証拠は、森下選手が韓国の選手に敗北したことで、銀メダルにもかかわらずスポーツ新聞の一面にならなかったことです。
ちなみにほとんどのスポーツ新聞の一面は8位の谷口浩美選手でした。「こけちゃいました」の名言がありましたからね。当時、僕はかなり悔しく思ったものです。本当によく覚えています。唯一、谷口浩美選手以外を一面にしたスポーツ新聞がありましたが、その一面は、「原20号!(原辰徳の20号ホームラン)」でした。
八頭高校出身のプロ野球選手
あと、八頭郡出身で、かつ八頭高校出身でもある人の中に、田中由郎(よしお)というプロ野球選手がいたようです。社会人野球で活躍したのち、1975年にドラフト1位でロッテに入団しました。
鳥取県出身者でドラフト1位はとても珍しいです。しかし、田中由郎選手は第一線で活躍はできなかったようですね。
世代が違うので僕は全く知りませんが、この田中由郎選手。一部ではかなり有名な選手のようです。「人切り由郎」の異名を持つようです。
その由来は、スカウトが田中由郎選手の才能にほれ込み、「もし活躍できなかったらスカウトをやめる」と宣言してしまったほどの選手だった、ということです。
しかし、実際は活躍できなかったので、本当にスカウトをやめることになったんですね。だから、「人切り由郎」と呼ばれたわけです。
アンダースローの、とても才能にあふれた選手だったようです。活躍してほしかったですね。
まとめ
以上、ヤマタノオロチ伝説と八頭高校は関係あるのか、というお題から広げて、いろいろと書いてみました。
ヤマタノオロチ伝説と八頭郡は直接は関係ありませんが、間接的には関係があります。オオクニヌシノミコトの妻が、八頭郡の八上姫だった、というわけですね。
絶世の美女ということですから、いったいどんな姫だったのでしょうか?気になりますね。
今回は以上です。いつもお読みいただき、ありがとうございます!
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